2016年11月17日、「開沼博の『理論と現場』ゼミ」のオフ会が開催された。

日本のアンダーグラウンドに精通する社会学者・開沼博さんのサロンオフ会は、毎回テーマを設け、テーマごとに日本で最もその現場をよく知る取材者、研究者、現場当事者などをゲストに招き、直接話を聞きながら考察を深めていくことを目的としている。

今回のテーマは「ドラッグの現場」。ゲストにはドラッグの使用者や捜査の実態についても詳しいライター・天田雄二郎さんが招かれ、ドラッグがいかなる社会構造の中で流通・使用されているのか、身体的影響はどのようなものなのか、また規制・摘発のあり方はどうあるべきかといった内容について一時間半のトークライブが行われた。

ドラッグの現場を知る

一口に「ドラッグ」といっても、大麻、LSD、コカイン、覚醒剤、ヘロイン・・・と無数にある。また合法なものも含めれば煙草やアルコールもドラッグの一種であると言う人もいるが、今回のトークライブでは、日本で違法とされているドラッグの中で、主に「覚醒剤」について取り扱った。

天田さんによれば、1990年代には東京都内の中学生、高校生を中心とした若者たちの間で、一部ではあるが覚醒剤が流通していた時期があったという。現在は1グラム30,000〜40,000円程度する覚醒剤が、当時は1グラム2,500〜3,000円で購入することができたため、若年層でも十分購入することができたということだ。

主な流通経路は、夜の街に立つ外国人。彼らから偽装テレフォンカードの購入をしていた若者たちが、そのうち覚醒剤の購入を勧められるようになっていったという。

「警視庁発表だと1回の使用が0.03グラムという言われ方をしますが、1グラムを1週間で使用するくらいの人たちがマジョリティー。マジョリティーというのは、たしなむ程度の利用者から重度の依存者の間にいる層。ここが最もボリュームの多い層なので、重度の依存者に基づいたイメージは実態とは大きく異なります。」

「覚醒剤を使用している人というのは幻聴・幻視や錯乱状態に陥っているようなイメージがあると思いますが、そこまでの状態になる人はなかなかいません。多くの人は『少し汗をかく量が多いな』というくらいで、いまこの場に覚醒剤を使用している人がいても気づかないでしょう。」

「使用者が捕まるケースとして最も多いのは、いわゆる売人(ドラッグを売っている人物)が捕まり、その売人の携帯電話の履歴から使用者が明らかになるケース。職質で捕まるというのはなかなか無い。使用者は覚醒剤を持ち歩くことは殆どないし、購入してから自宅に持ち帰るまでは様々な工夫を凝らして運びます。例えば、宛名を書いた封筒のなかに入れて封をしてしまえば、職質でそれを破って開かれるようなことはまず無いので。」

リアリティのある“現場からのレポート”に、参加者たちは思わず息を呑む。

参加者の一人は大学でドラッグ・カルチャーに関する論文を書きたいという学生で、ゼミでもドラッグについて取り扱っているが「文献で調べているだけでは知り得ないことばかり」とメモを取り続けた。

途中、天田さんから会場の参加者に対して「違法ドラッグの使用は、どうしていけないのだろうか」という質問が投げかけられた。

「自分以外の他人、家族や友人に迷惑をかけるから。」

「海外旅行に行った際、(現地では合法とされている)大麻を使用したことがある。でも日本に帰ってきて大麻を吸おうとは思わない。それは『その国の法律で禁止されているから』という単純な理由だ。」

「お金もかかりそうだし、身体に悪いことをしたくないので…。」

参加者の答えが一通り上がったあと、天田さんが一言。

「自分が恋い焦がれた異性と夜を共にできる、という状況があったとします。ベッドの上で相手から『これ、凄くいい気持ちになれるから』と違法なドラッグを差し出されたとき、断ることができますか。」

ユニークな表現で、人がふいにドラッグの使用者となってしまう可能性を示唆する。

それまで「違法なドラッグを使用する人は、自分とは違う種類の人間である」という感覚でいた会場の空気がピンと張り詰めた瞬間だった。

多くのドラッグ使用者を見てきた天田さんは「ドラッグの使用者と自分は何も違わない」ということを体感しているのだろう。この感覚こそが、まさしく「現場を見てきた人」のものであり、私たちがドラッグの現場を正しく理解するために必要なものである。

開沼博と学ぶ -「理論」と「現場」の両輪を鍛える-

このように、実際に現場の様子を知ることで得られる洞察は大きい。私自身、大学時代に社会学のゼミに出入りしていたが、教室にはこうした知見を得る機会はなかった。

こうしたトークライブに参加すると、座学だけではなく現場に赴くことの重要性を実感するが、開沼さんは決して現場原理主義のジャーナリストというわけではない。社会学者である開沼さんが重要視するのはサロンのタイトルもある通り「理論と現場」の両輪だ。

サロンの紹介文には、開沼さんからのメッセージが次のように書かれている。

「理論と現場」の往復の中でこそ、思考が自由になり、見るべきものを見極められるようになります。

知識欲を刺激されて興奮し「もっと色々なことを知りたい、ものごとを深く考えられるようになりたい、そのためならどんな努力でもするぞ」と思ったいくつもの瞬間。いま振り返れば、そのそれぞれが私の人生のターニングポイントでした。

高校生の時に図書館でそれまでは手に取らなかったような社会科学の本を読んだ時、予備校に通って大学の学問の初歩的な話を聞いた時、雑誌のライターの仕事を始めた時、論文を書く作法を身につけるゼミに通い始めた時、六ケ所村に行った時、修士論文を書いている時等々。そこには自分の知らない「理論と現場」があり、それを知るほどに社会がクリアに見え、言語化可能になり、以前は自分の中から出てこなかったような発想が出てくるようになりました。

「理論と現場」を知ることで、いかに自分自身の思考がしがらみにまみれているか、社会がいかに豊穣なのか実感できるようになります。

参加者の方には、そのためのアカデミックスキルを身につけて頂ける場となればと思います。

何かを学ぶほどに「社会がクリアに見え、言語化可能になり、以前は自分の中から出てこなかったような発想が出てくるように」なるというフレーズを見て、私は高校時代に読んだ本を思い出した。そこには次のような内容が書かれていた。

散歩して帰ってきた子どもに「今日はどんな一日だった?」と質問したとします。

子どもが「今日は犬を三匹見た」と答える。私がその子どもと同じ一日を辿ったとする。私は「ダルメシアンとシーズーとプードルをみた」と答えるかもしれません。私はこれを、私がその子どもよりも「より鮮明に」景色を見ることができていると考えます。

イヌイットの方々は雪に対する言葉を三十種類ほど持っていると言われます。私は雪を見てもドカ雪とベチャ雪とパウダースノーくらいの見分けしかつきません。イヌイットの方々と私が同じ光景を見ていても、眼に映るものの鮮明さは大きく異なるでしょう。

日本人は擬態語を多く持つ民族です。日本語が母国語でない方々に「いそいそ」「そわそわ」「せかせか」の違いを説明するのは困難です。日本人は人の様子を鮮明に見ることができます。

この筆者の言わんとすることは、開沼さんのメッセージと同様だ。何かを学ぶということは「社会がクリアに見え、言語化可能になり、以前は自分の中から出てこなかったような発想が出てくるように」なるということ。

私自身、自分の目に映る世界をより鮮明にしたいという気持ちが、何歳になっても学び続けたいという意欲につながっている。

そして、そのような思いを持つ人は決して少なくないのではないかと思う。

開沼さんは物事を学ぶ上で「理論と現場」という両輪を大切にしている。実際に社会に出て働くと、この両輪の重要性は身にしみて分かってくる。しかし重要性が分かったところで、現実には仕事を続けながらこうした学びを得られる場というのは少ない。

さまざまな事情で大学に通うことのできなかった人や、無為に学生生活を送ってしまった人を含めて、現在社会人として働いている方々が、何かアカデミックな事柄について学びたい、触れたいという思ったときに、応えられる空間をつくりたい。また、現役学生の方々にも、教室の中からは決して見ることの出来ない世界に触れる場を提供していきたい。

開沼さんとは、そういった思いを共有し、オンラインサロンという新たな学びの場を運営させていただいている。そして今回のイベントを開催して、その思いが形になったという実感を得られた。

開沼サロンはまだ始まったばかりだ。今回のようなトークライブは基本的に毎月開催していく予定であり、ゲストは開沼さんがその時々のテーマに合わせて招待してくれる。また第一回では実現できなかったが、イベントの開催地に来ることのできないサロンメンバーに向けてオンラインでリアルタイム配信も行っていく。

取り扱うテーマは貧困、暴力、売春、ドラッグ、カルトといった「現代社会の周縁的な存在」。こうしたテーマについて、普段のニュースを目にしているだけでは出てこない発想力を身につけたいという方は、ぜひ一緒に「開沼博の『理論と現場』ゼミ」で学んでいこう。ノンフィクションの世界を目のあたりにすることは、あなたの視界をグッと明瞭にしてくれるはずだ。

開沼博の「理論と現場」ゼミ
開沼博の「理論と現場」ゼミ
開沼博の「理論と現場」ゼミ
このゼミの目的は、それぞれの参加者が向き合う様々な「理論と現場」を理解し、深く考えぬき、抱える課題を解決するためのスキルを磨きあう場...