オフィスに隣接する猪瀬氏の大きな書庫は、4階建て、高さ10メートルの吹き抜けを中心に設計されている。天井まで伸びる本棚が四方の壁を埋め尽くし、そのなかには過去の著作で参考にした文献が並ぶ。吹き抜けの中心には階段がある。各階にはさまざまな辞典が並ぶ部屋や貴重な資料のスクラップが所蔵される部屋がある。泊まり込みで執筆する際に使うという部屋もあった。

下から見上げる。
4階まで上がり、地階を見下ろしたとき、猪瀬氏はこの高さから何を思い浮かべる? 飛び込み競技の飛び込み台からプールの水面までが10メートルなんだよと言った。

猪瀬氏の脳内を具現化したようなライブラリのなかで、私は今にも溺れてしまいそうだった。

上から見た

 

本を書くための「ひとりGoogle」

「この書庫は『ひとりGoogle』なんだよ。Google検索がない時代に、ひとりで検索ができる世界を作り上げたってことなんだ。一冊の本を書くためには、何百冊もの本が必要になる。それを全部買って揃えて置いてあるのが、この書庫だ。今ではインターネット上にも古本が売っているけど、僕は今でも神保町の本屋なんかをまわって資料になる本を探している」

本棚と猪瀬氏と筆者

猪瀬氏が古本屋で一冊の論文集に出会うエピソードが『空気と戦争』(文春新書)に描かれている。

ある日、僕は『燃料大観(燃料協会創立50周年記念特集)』という地味で分厚い論文集をぺらぺらとめくっていた。神田神保町の古書店に積まれていたものを、重いなあとぶつぶつ言いながら家まで運んできた。(中略)高橋健夫さんの「陸軍と燃料」という5ページほどの文章がふと眼にとまった。堅苦しい論文が並ぶなかで、この人の文章だけが光っていた。
『空気と戦争』P.28

「高橋健夫中尉の『論文』は文章になっていたんだよね。エッセイのようで、高橋中尉の感慨が滲み出ている気がした。これはなかなかおもしろいなあ、と思った」

ぶ厚い論文集のなかから見つけた5ページの文章は、数年後『昭和16年夏の敗戦』(以下、『昭和16年』)を書き上げるための重要なピースになる。猪瀬氏の著作はいつも膨大な文献の渉猟によってつくられている。

「書庫には、たとえば太宰治と井伏鱒二について書いた『ピカレスク』や、三島由紀夫について書いた『ペルソナ』の参考文献となった著作がすべて、それぞれの本棚にまとめられている。ひとつの本を書くために、これだけの本を集め、読む労力が必要だということだよ。」

本棚と猪瀬氏
「考えながら読んでいくと、数多くの本が系統立っていく。自分で何か本を書きはじめようとするときには、それらの系統に基づいてある程度の仮説ができていくんだ。本を集めるというのは思考のプロセスと同じことだよね。そして本棚は思考の軌跡になっている。

書き進めながら新たな文献が必要になることももちろんある。仮説を修正する必要があるからな。本を書く営為というのは、仮説を立てて修正していく、ということだ。

要するにモノを作っていくときと同じだよな。製造工程を立てて、必要な部品を集めていく。作っていくうちに足りない部品が見えてきて、それらを集め、ふたたび作り直す。そうして出来上がるモノはクリエイティブじゃなくてはいけない。ぜんぜん別のモノと別のモノが繋がっていく意外性が読者を惹きつけるんだよ」

三島と太宰

猪瀬直樹が「小説」にこだわるワケ

猪瀬直樹の代表的な著作に、『昭和16年夏の敗戦』がある。この本のテーマは「日本はなぜ勝ち目のない戦争を始めたのか」だ。戦争は石油がなければできないが、日本には石油がない。にも関わらず、日本はなぜ戦争を始めたのかという問いが、まず立てられる。

「『人造石油』という言葉があった。石炭を高温高圧で液化してつくられた石油の代替物のことを言うんだよね。石炭なら日本や満州でも取れる。じゃあこの人造石油の研究所はあるんだろうか、って資料を漁っているときに、さっき話に出た高橋中尉の文章を見つけた。

彼は、人造石油について勉強しようと思って燃料研究所に行ったと書いていた。しかし、まもなく陸軍省に出向した高橋中尉は、陸軍全体の石油の「需給表」を作成する仕事に就くことになる。この『燃料需給表』は戦前に陸相だった東条英機に提出されてこれが日本には戦争遂行能力があるという『根拠』になった。しかしこの需給表は事実に基づいて作られたのではなく、『戦争を行う』という目的に沿って作られたものだった。こういう話は実際に高橋中尉に会って聞いたことだね。

『総力戦研究所』なる言葉も、同時に気になっていた。今は市ヶ谷の防衛省に統合された『戦史資料室』が当時は目黒にあってね。そこで、総力戦研究所の同窓会名簿を見つけたんだよ」

猪瀬氏の著作を支えるのは膨大な文献と入念な取材だ。『昭和16年夏の敗戦』執筆当時、健在だった総力戦研究所の面々に取材を行っている。

猪瀬氏と筆者

「名簿を見つけて『そっか、彼らはまだ生きているんだ』と思った。70歳くらいで生きている研究生が少なくなかった。名簿を頼りに彼らを訪ねて話を聞いた。江戸時代の歴史小説を書くんだったら、想像力で補わざるをえない部分もどうしたって出てくる。けれど『昭和16年夏の敗戦』執筆の時には当事者がまだ生きていた。本当の話が聞けるわけだ。ただ、話を聞いただけでは解消されない疑問も多い。そこで、日記を探すことにした」

しっかりとした校正がなされ、ある程度信頼できる文献を漁る一方で、個人として書きつけているささやかな日記を猪瀬氏は重要視している。「本当のことしか書かれていない小説」を書く上で、日記は欠かせないと言う。

「日記は大事なんだよ。日記には、天気や曜日が書いてある。それが小説でシーンを再現する際に役立つ。たとえば『今日は会議がありました』と書かれたページに雨マークがあり、その日が土曜日だったら、小説には、『今日は会議で、外は雨が降っていた。午後には家に帰った』と書ける。土曜日はまだ半ドンの時代だからね。日記に基づいてディテールを書くと臨場感が出せるし、場面が生まれてくる。そうやって本当のことしか書かれていない小説ができていくんだよ」

猪瀬氏の作品は、いずれも知られざる歴史や真実についての物語である。彼は、それらの作品が「ノンフィクション」ではなく「小説」であると言う。なぜ彼は「小説」という形式にこだわるのだろうか。

「物語だから、小説として読めるようにしなくちゃいけない。小説といっても、本当のことしか書かれていないわけだけど。真実だからって『ノンフィクション』と銘打って、ただ調べて書きましたってそのまま出すだけでは、全然おもしろくないんだよね。『総力戦研究所』なるものがかつてありました、なんて事実だけを書いても、誰も驚いてくれない。」

猪瀬氏は物語を読ませるために小説という形式を採用したと言う。ノンフィクションでありながら同時に小説として没頭できる仕掛けがあるから、彼の著書は多くの読者を獲得しているのだろう。

前編では、猪瀬氏がつくりあげた「ひとりgoogle」の全貌と、史実に迫るための方法論について伺うことができた。後編では、小説という形式にこだわる猪瀬氏が考える「小説として没頭できる仕掛けづくりの方法」に迫っていきたい。

後編はコチラ

【後編】作家・猪瀬直樹の脳内〜創造力と構想力の射程〜
作家・猪瀬直樹の脳内。「【前編】史実に迫るための取材学と文献学」では、史実・真実に迫るために自身が心がけていること、行っていることについて詳細に語ってもらった。

後編では、いよいよ史実や真実に迫るために綿密な取材や調査を行う猪瀬直樹が、なぜ「小説」という表現形態にこだわるのか。その哲学に迫っていきたい。

猪瀬直樹の「近現代を読む」
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