特集「挑戦前夜」

卒業や就職を迎えるこの季節。新たな「挑戦」をしてみたいと考えている人も多いはずです。

この特集では、様々なジャンルのトップランナーに、その後進んでいく道を決定づけることになったきっかけ・決心について伺い、各人の挑戦前夜の様子を描き出します。

第一回 〜DJ・須永辰緒

第二回 〜AV男優・田淵正浩

2016年、八木仁平は早稲田大学の学生だった。卒業を控え、都内のIT企業に入社することも決まっていた。しかし、八木はその内定を辞退し、プロブロガーとしての道を歩みはじめる。彼が運営するブログ「やぎろぐ」は月間90万PVを誇る大規模な個人メディアだ。内定を辞退してまで、プロブロガーという生き方を選択した背景には何があるのだろうか。八木の人生に迫る。

八木仁平

1993年生まれ・プロブロガー。大学時代に試みたヒッチハイクをきっかけにブログで発信活動を開始する。大学卒業後はブログで生計を立てることを決意し、現在はプロブロガーとして活躍している。「小さな挑戦」を自身の人生コンセプトとして掲げ、日々の挑戦やオピニオンを個人メディア「やぎろぐ」にて発信している。

お兄ちゃんはスーパーマン

学生時代の八木はとにかく目立ちたがり屋だった。これは兄による影響が大きかったという。八木よりも2つ年上の兄は八木にとってスーパーマンのような存在だった。兄は、クラスで常に人気者で、部活動では主将を務め、体育祭では応援団長をこなす。そんな兄に憧れを持った八木は、自分も負けまいと兄の背中を追い、クラスの中でも常に中心人物になろうとしていた。

「ぼくは小学生の頃から、みんなの輪の中心にいる人気者でいたくて『どうしたら目立てるか?』ということばかりを考えていました。中高時代は学級委員長や体育祭の応援団長はもちろん、合唱コンクールでは指揮者、部活動ではキャプテンをしていました。」

しかし、クラスの人気者になるだけでは飽き足らなかった八木はあるツールと出会うことになる。それがインターネットだった。

八木は友人と共同でホームページを立ち上げ、自分たちの日記をインターネット上で発信するようになった。通っていたのは高知県にある田舎の中学校。もちろん生徒が自ら日記サイトを立ち上げるような前例は無く、八木たちのサイトは瞬く間に学校中に広まり、話題となった。

(当時の日記サイトを振り返る八木)

「そのときはまだ、ぼくが通っていた学校に自分の日記をインターネット上に公開するという文化は全くありませんでしたね。でも、他県の一部の学校でそういうブームがきているということは知っていて。ぼくたちが草分け的存在になって、地元にブームを作ろうと思い、サイトを立ち上げました。」

このホームページは中学1年生〜高校3年生までの計6年間運営されていた。6年間で獲得したPV数は34万を超える。今では記事がソーシャルメディアによって拡散され、たった1つの記事が万単位のPV数を獲得することも珍しくはなくなったが、今から10年以上前のインターネットにおいてこれは相当な数字だ。

「サイト運営をしていく中で、『どうすればもっとPVを稼げるだろう?』ということを考えていくようになりました。そんなことを考えている時に、勢力の強い台風が学校にきたんです。『これだ!』と思いましたね。」

台風が学校に迫って来たとき、生徒は第一に「学校が休校になるか否か」に強い関心を示す。当時、台風による登校の影響など緊急性の高い情報は学校のホームページにしか掲載されていなかった。しかし、学校のホームページはパソコンからしかアクセスできず、携帯ではアクセスができなかった。八木はそこに目をつけた。自身のサイトに日記というエンターテイメント要素だけでなく、役立つ情報が集まるという要素も加えたのだった。

そして、八木のホームページが学校に知れ渡ると、同じように日記サイトを作り出す生徒が次々と現れた。ブームをつくり出したことで八木への注目はさらに集まり、学校中の人気者になった。当時アフィリエイトのアの字も知らなかった八木は、サイトを通じて収入を得ることはなかったが、この頃からブロガーとしての才能を開花させつつあったのだ。

転機となる大学時代

高校を卒業し早稲田大学に進学後、八木はこれまでの自分に違和感を抱くようになった。兄と同じように輪の中心にいようと様々な試みを真剣にしてきたつもりであったが、それを心から楽しめていない自分に気づいたのだ。

しかし、その違和感の正体に気づくのはもっと後の話だ。

「当時は対人コミュニケーション能力が足りていないせいで、人付き合いに楽しさを見いだせていないんだと思っていました。そこで、大学生活を1年終えた春に、心機一転してヒッチハイクをしてみようかなと。ヒッチハイクなら、今まで全く関わりのない人達と交流ができるので、コミュニケーション能力を鍛えれると思ったんです。それにヒッチハイクは周りで誰もやっていなかったので、目立てるかなと思って(笑)」

大学1年生を終えた頃、八木は「西日本1周ヒッチハイク」を試みた。ヒッチハイクをする中で得られた自分の感情を忘れないために、西日本1周ヒッチハイク専用のブログを開設し、発信活動を行いながらヒッチハイクをした。この時、八木は発信することの面白さを知る。

「ブログはアメブロで開設したんですが、1日に1000PVほどありました。中学生の頃に立ち上げた日記サイトを見るのは、ほとんど身内だったんですが、ヒッチハイクブログは出会ったことのない人たちが読んでいてくれて。不思議な感覚でした。ブログは1ヶ月だけ運営していたんですが、ぼくのブログを読んで『このブログを読んで、自分もやってみたいと思いました!』『ヒッチハイクしてみました!』というメッセージも何度もいただけたことには正直びっくりしましたね。誰かの新しい行動のきっかけになれる喜びを知ることができたのは貴重な体験でした。」

ヒッチハイクが終わり大学2年生になった頃、八木はアルバイトを始めた。情報発信のネタをつくるにもお金が必要だったからだ。アルバイト先はコンビニエンスストアでお馴染みの「ミニストップ」。自宅から近いため、効率的にお金を稼ぐにはちょうどよかった。しかし、問題は突然降りかかってきた。

「驚きましたよ、ほんとに。まさかたった2ヶ月でクビになるなんて。」

学校行事も部活も真剣にやってきた。その中で受験勉強もこなし大学に入学した。仲間の輪の中心で生きてきたし、自分が社会で生きていく上で何か問題があるなどということは今まで考えたこともなかった。

しかし、ある日八木は突然アルバイトをクビにされた。理由は明確に教えてくれなかったという。「お金のためだけに働くことにどうしてもモチベーションが上がらなかった」と八木は言う。八木はそれでも頑張って日々の業務をこなしていたと言うが、第三者から見ると気だるそうな態度が露骨に現れてしまっていたのかもしれない。

当時、大学卒業後は企業人として社会人生活を全うするという選択肢しか知らなかった二十歳の青年は、「自分は今後社会人として生きていけるのか」という不安で頭がいっぱいになった。

その後の八木は、不安から目をそらすようにスケジュールを埋め続けた。大学では、高校時代のバドミントン部での経験を活かすべく、バドミントンサークルに所属した。しかし、実情はただ飲むだけの、いわゆる飲みサーだった。どこか心から楽しめていない自分と向き合いながらも、日中は授業をこなし、連日連夜、飲み会を繰り返していた。

そして大学3年生になり就活が始まった頃、プロブロガーとして生きていくきっかけを掴むための出来事が訪れる。

「大学3年生になって就活が始まった時、自分の大学生活を振り返ると飲み会しかしてなかったので、就活の面接で話せる自分の強みが特になかったんです。『このままではやばいな…』と焦りました。」

そこで、八木は就活で勝ち抜くために2つのことを始めた。1つはインターン、もう1つは個人ブログ「やぎろぐ」だった。

「アルバイトをしている就活生がほとんどなので、今からもう一度アルバイトをしても、それほど就活に有利な話はできないなって。そして、インターンなら、お金のためだけじゃないやりがいを見つけることができるのではないかという期待もありました。渋谷にあるITベンチャー企業で、営業職に就きました。ブログは、過去の日記サイトやヒッチハイクブログを通して、発信することの面白さを知っていたので、またやってみようと。自分が苦にならないことで、ちょっとしたお小遣い稼ぎでもできればいいなって。それに、『アルバイトをせずにブログで稼いでます』と言えたら、就活に有利だなと思ったんです。」

八木は、インターン業務とブログ運営をこなしつつ、まとまった休みにはコミュニケーション能力を磨くために再びヒッチハイクをした。しかし、ヒッチハイクを何度もしていくうちに、大学入学後からずっと感じていた自分自身に対する違和感の正体がわかってくることになる。

みんなの輪の中心にいても、連夜の飲み会で盛り上がっていても、ヒッチハイクを通じてさまざまな人とコミュニケーションをしても。どこか心から楽しめていない・・・。

違和感の正体は、本来の八木は人と話すことが苦手であり、好きではなかったということだった。兄の背中を追う中で、兄のように人懐っこく、誰からも愛される人気者であるべきだと思い込んでいたが、本来の八木は兄と全く違ったタイプの人間だった。つまり、20年以上もの間、無意識に無理をして生きていたのだ。

「『自分がずっと無理をしていたんだ』と気付けた時、肩の荷が下りて、気持ちが楽になりました。でも、20年以上かけて築き上げてきた『リアルな場で人とワイワイすることが大好きな八木仁平』を捨てることになるので、この決断にはめちゃくちゃ勇気がいりましたね。でも、これを機に営業職ではなく技術職で生きていこうと考え、就活ではエンジニア採用でIT企業に内定をいただきました。営業として入ったインターン先を辞めたあとは、内定先の企業でエンジニアとしてのインターンも始めました。」

八木はリアルでの対人関係を積極的に構築することをやめた。飲み会への参加頻度も減り、営業職インターンも辞めた後の八木は、卒業するまでの間、内定先でエンジニアとして働いた。誰かとワイワイすることもなく、黙々とコードを書き続けた。

しかし、ここで再び大学二年生のときの悪夢が蘇ってくる。アルバイトの時のように、やりがいを感じることができず、お金のためだけに働いているようにしか感じられなかったのだ。

「エンジニアという仕事にどうしても夢中になれませんでした。でも、同時に始めたブログ『やぎろぐ』はそんなことなくて、ただただ楽しくて四六時中ブログのことばかり考えていました。自分が発信したいことを自由に発信して、誰かに影響を与えれるというのはとても楽しい。リアルな場での交流は苦手でも、『目立ちたい』という欲求は昔と変わらずあったようで、自分の体験や価値観をブログというツールを通じて『どうしたら多くの人に見てもらえるか?』ということをよく考えていました。数字ではっきりと成果が見えるので、ある種のゲームをしているような感覚もありました。」

日記サイト・ヒッチハイクブログ運営の経験を経て、読まれるコンテンツのツボを抑えていた八木は、「やぎろぐ」を運営開始してすぐに数万円の利益を生んだ。そして、エンジニアとしてインターン生活を送る傍ら、日々ブログを更新し続けた。いつの間にか八木にとって、ブログ発信は日常とは切り離せないライフワークの1つになっていた。

大学を卒業するまで1ヶ月を切ったある日。八木は新卒エンジニアとして企業で働くか、フリーランスとして働くかについて、真剣に考えていた。

兄は収入水準も高く、ネームバリューもある企業に就職している。以前の自分なら兄のように企業で働くという選択肢しか無いように思えた。しかし、ブログ発信を通して、企業に属して働くという生き方が唯一の選択肢ではないということも感じはじめていた。

現代は「個の時代」であるとよく言われる。それはあながち間違いではないのだろう。事実、八木は一大学生でありながらブログを通じて世の中に自分の好きなことを発信し、他者に影響を与えたり、報酬を得たりすることが出来ている。

答えは既に出ていた。

「フリーランスとして働こう。」

周囲からは反対の意見もあった。何もかもが自己管理になることに対しての不安の声もあった。それでも八木はブログ収入を頼りにフリーランスとして生きていくことを決めた。自分の生活を自分の力でコントロールできることに期待しか感じなかったからだ。

旅するプロブロガー・八木仁平の誕生

大学卒業後、早速八木は一つの挑戦をした。

ヒッチハイクをしていた頃、ある車が停まってくれた。大きなキャンピングカーだった。乗せてくれた人はキャンピングカーで移動しながら生活をしていた。ただ寝るだけのスペースではない。キャンピングカーは水も出るし、火も使える、持ち運び型の”家”である。

八木は自分だけの秘密基地を連想させるキャンピングカー生活にロマンを感じ、強い関心を抱いていた。キャンピングカー生活という存在を知った頃の八木はまだ、就職以外の選択肢を知らなかったが、今の八木は違う。

「まだ見ぬ世界を旅しながら、発信をして生きてみたい。」

フリーランスになったことで、行動を制約するものがなにもなくなった八木は、大学卒業後、貯蓄していたブログ収益を元手にキャンピングカーを購入した。旅するプロブロガーの誕生である。

「自由に家を移動させることができるというライフスタイルは、ぼくにとって新鮮でした。20代でキャンピングカー生活をして生きている人はあまりいなかったので、新聞・テレビ・雑誌にも掲載され、注目を浴びましたね。でも、ずっとそうして生きていこうというわけではなくて。4ヶ月を過ぎた頃、ぼくはキャンピングカー生活をやめました。人それぞれの性質は遺伝子レベルで内向的か外交的が決まっているというデータがあるんですが、ぼくは外交的だと勘違いしていた内向的人間です。そんなぼくにキャンピングカーで旅をしながらずっと生きていくことは難しかった。」

4ヶ月で17件の取材依頼がきた。このままキャンピングカー生活を続けていれば、より注目を集めることができたかもしれないし、ブランディングもできただろう。しかし、八木はすぐにキャンピングカー生活をやめた。「苦手を克服するよりも、好きで苦にならないことを極めることが自分のためになる」というのが八木の生き方だからだ。

苦痛を感じたらすぐに諦めることを“逃げ”という人もいるだろう。しかし、八木にとってのそれは“逃げ”ではなく“人生を好転させるための新しい挑戦”である。20年に渡り引きずっていた偽りの自分を捨てたあとの八木は、潔かった。

「苦手と思ったらすぐに辞める。そして新しいことを始める。そのトライ&エラーを繰り返す中で、自分が夢中になれるものを見つけられれば良いんです。」

「得意x夢中」が仕事になる世の中を

八木は趣味でブログに没頭していたので、ブログ運営において開設から今に至るまで苦を感じることはなかったが、プロブロガーという着地点を見つけるまでに幾度となく悩み、苦しみ、もがいてきた。

現在の八木は、福岡に拠点を置き、プロブロガーとして日々発信活動をしている。今後は、ブログでの発信だけでなく、昔の八木のように本当の自分を理解できずに苦しんでいる人たちが、心から夢中になれる好きなことや得意なことを見つけ、それを仕事にできる環境をつくっていきたいという。

「今は、自分の経験からだけではなくて科学的な裏付けを元に人の強みを見つけ、人生設計に貢献できるようになるために、ストレングス・ファインダーの講座に通おうと思っています。ストレングス・ファインダーは『自分の強みに意識を向けて、その強みを活かすことで最大の能力を発揮する』という考えを元に開発された強み発掘ツール。人の才能を34個の資質にわけ、その中から自身が持つ最も強い5つの資質を見つけることで、本当の自分を理解できるようになるというものです。」

わたしは「ブログは辞めるのか」と尋ねた。

「ブログを辞めるつもりはありません。ぼくはプロブロガーとして生きていますが、これも生き方の1つというだけで正解ではありません。ブログも自分の好きなことや得意なことを世の中に伝えて収益化するための手段の1つにしか過ぎません。生き方やマネタイズ方法は十人十色です。自分の好きなことや得意なことで生きていける人を少しでも多く輩出できるように、ブログ以外にも活動の幅を広げて、色々な角度からアドバイスできる人間になりたいんです。」

兄の背中を追い、偽りの自分を演じ、葛藤の末にプロブロガーという天職に就いた。八木の人生を切り開いたキーワードは「夢中」と「発信」だった。自分の好きなことだけを夢中になって発信することが、世の中にとって価値あるものとなり、それを職業にしていける時代を誰が予想しただろうか。

いまは“好き”を仕事にできる時代だ。誰にだってチャンスがある。あなたには、夢中になれることはありますか?

八木の挑戦は続く。

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