9/9(金)台風一過の炎天下の中、「黒田涼の江戸・東京を歩いて読み解くサロン」オーナーで、作家の黒田涼氏を案内人にお迎えし「築地ー豊洲散歩会」を行った。

築地市場移転問題によって最近では全国区で取り沙汰されるようになった築地と豊洲。渦中の場所は一体どのような場所なのだろうか。作家・黒田涼氏の目線から見たそれぞれの土地とは。

前編「作家・黒田涼と語り歩く江戸東京 築地ー豊洲コース築地編」に続く今回は「番外編」をお送りしたい。黒田涼氏と築地を歩く中で知った「築地=近代アカデミズム発祥の地」という意外な事実。その理由を追っていきたい。

前編の最後築地本願寺を訪問した後、本願寺近くの蕎麦屋に入り軽く食事をとった。

今歩いてきたルートについて、古地図を見せながら解説してくれる黒田涼氏。

蕎麦屋で古地図

古地図

蕎麦を頂いた後は、「築地も十分楽しんだし豊洲に入っていくのかな・・・」と思いつつ、引続き黒田涼氏と歩を進める。

散歩4

しかし、豊洲に向かうと思いきや黒田涼氏は築地に留まりどんどん住宅地の方へと入っていく。

着いていくと、そこには一枚の看板があった。紹介して頂いたのは、意外にも工学院大学発祥の地という看板。「工手学校」という名前だったようだ。

工学院1

こんな新しいマンションの一角にあるなんて誰も思いもしないだろう。工学院大学と言えば、西新宿の超高層ビル街にある大学である。高層ビルに入っているだけあって比較的新しい大学なのかな、なんて思っていたが、その実とても由緒ある学校のようだ。

工学院2

遠くにまた看板が見えてきた。それは「芥川龍之介生誕の地」。誰もが知る作家は、築地の「耕牧舎」という牧場で生まれたようだ。築地には当時牧場があったらしい。

芥川

こちらは、芥川生誕の地のすぐ近くにあった立派な石碑。「忠臣蔵」が好きな人にはお馴染みであろう、「松の廊下事件」で有名な「浅野内匠頭邸跡」だ。こんなネタも紹介頂きながら聖路加タワーの方に進んでいく。

女子学院

女子校御三家のひとつ、今は麹町・半蔵門にある女子学院は築地で発祥したそうだ。学校関係の石碑が多いのだろうか。

立教学院

なんと池袋の立教大学も築地が発祥の地となるらしい。ちなみにこれらはすべて聖路加病院の敷地内にある。

なにやらまた石碑が見えてきた。「日本近代文化事始の地」として、現在は三田にある慶應義塾発祥の地の石碑が立てられていた。

近代文化事始

編集部北澤「学校発祥の地ほんとに多いですね。…でも日本近代文化事始って…慶應はやっぱり目線が違いますね。ちょっと偉そうですね笑」

黒田涼氏「うん偉そうだな。『蘭学の泉はここに』って。わざわざポエムにしなくても(笑)」

慶應義塾

黒田涼氏と私は慶應大のライバル早大出身。変な対抗意識を燃やさずにはいられない。

慶応義塾2

聖路加病院

聖路加病院に到着した。独自性溢れるデザインだが、メインの塔の部分は戦前から残っているというから驚きだ。本願寺に次ぐ、築地のシンボルであったに違いない。

聖路加2

病院の中には病院設置記念の石碑が建てられている。「神の栄光」という言葉と「公爵徳川家達」の名、聖路加「国際」医道院の組合せ。明治以降急激に日本が国際化してきた歴史を肌で感じられる石碑である。近くを通ったらまた寄りたい場所だ。

トイスラー

敷地内には、聖路加病院をつくったトイスラー医師の業績を称える石碑もある。

編集部北澤「トイスラーさん、ヤバいですね。わざわざこんな遠い、当時のアメリカ人から見たらひどい未墾の地に来て。病院までつくって。」

黒田涼氏「まずは信仰心なんだろうね。布教活動でもあったわけだ。」

歴史に思いを馳せながら歩く。

アメリカ公使館

聖路加病院の中には、アメリカ公使館の跡地を示す看板があった。公使館は今の大使館である。江戸城無血開城後も引続き政治の中心地として機能していた江戸・東京の、港からほど近い街、築地。築地はそのような場所として、多くの外国人が行き交う異国情緒溢れる街に変化していったようだ。

公使館看板

居留地看板

築地外国人居留地は当時、キリスト教布教の拠点になっていたようだ。明治に入った直後、日本での布教活動を禁止した明治政府だが、明治6年には禁止令を解く。それからは活動も本格的になったのだろう。これまで紹介した学校は、慶應義塾を除いて、全てキリスト教系の学校である。

ガーデンタワー

築地エリアでもひときわ目立つ聖路加ガーデンタワーを通り抜ける。ここからは、外国人居留地の雰囲気が色濃く残るエリアに踏み込んでいく。

女子聖学院

こんな歩道の片隅に、今は北区にある女子聖学院発祥の地と書かれた石碑がある。この学校もキリスト教系だ。歩道が心なしか広く、街並みもモダンだ。これも、外国人居留地であったことが理由だろうか。

青学

現在表参道にある青山学院も築地に縁があるようだ。これまたキリスト教系の学校である。青山学院は正確には、アメリカのキリスト教伝道師が麻布に建てた学校が祖となるようだが、後に築地に移転して海岸女学校と名乗った。そして元から築地にあったいくつかの学校と統合する形で、青山学院ができたということだ。

雙葉学園

これまたキリスト教系の女学校、今は四谷にある雙葉学園だ。前出の女子学院と並ぶ女子校御三家のひとつで、静岡や福岡にも系列校がある。二葉のモチーフが洒落ていて上品だ。

関学

今は横浜市の金沢区にある関東学院も、築地発祥のようだ。東京中学院という名前だったらしい。

ガス燈

ガス燈の柱が展示されている。ひとたび築地を歩いてみれば、文明開化の音が聞こえてくるようだ。


築地教会2

ひときわ異国情緒溢れる一角に教会があった。この教会は、東京で初めて建てられた教会ということだが、これまでの黒田涼氏の解説を聞いているので、もうなんら不思議ではない。パルテノン神殿風の荘厳な作りになっているが、実は木造・・・なんていうこぼれ話も黒田涼氏から飛び出す。
築地教会3
さて、そろそろ、豊洲に向かう道に近づいてきたかな、という頃に、ダメ押しのように学校発祥の地を示す石碑が出てくる。やはりキリスト教系の、今は九段下にある名門男子校だ。

暁星学園

午前中(前編を参照)に歩いた魚の臭い立ち込める入り組んだ小路とは打って変わって、異国情緒溢れるモダンな街並みであった。心地よい潮風の中で歴史に思いを馳せながら散歩をし、その間実に10校もの学校に関する石碑を見てきた。教育活動や病院建設などの慈善事業を通じて、東京を中心とした関東エリアへのキリスト教の布教が本格的に進んでいった歴史が目の前で再現される。築地外国人居留地エリアの散歩はこれからの秋晴れの季節は特にオススメである。

さて、次回は最後、後編「作家・黒田涼と語り歩く江戸東京 築地ー豊洲コース豊洲編」をお送りする。渦中の豊洲市場はどのような場所に建っているのだろうか。

黒田涼の江戸・東京の歴史を歩いて読み解くサロン
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「黒田涼の江戸・東京の歴史を歩いて読み解くサロン」は、作家・江戸歩き案内人の黒田涼が主宰する会員制コミュニケーションサロン。 江戸...