猪瀬直樹氏の『昭和16年夏の敗戦』は、大日本帝国が太平洋戦争へと歩みを進める最中、「総力戦研究所」に集った壮年のエリートたちが行った「戦争シミュレーション」を丹念に描いたノンフィクションだ。

『シン・ゴジラ』を見た元防衛相も読んでいる『昭和16年夏の敗戦』

「シミュレーション」といえば、今年の夏大ヒットしている『シン・ゴジラ』が思い出される。本作は、ゴジラがもし首都圏を襲ったら、日本政府はどのように対応すべきなのかという「想定外」の問題をめぐるシミュレーション映画だ。

「先の大戦では、旧日本軍の希望的観測、こうあってほしいという願望により、国民に300万人もの犠牲者が出ました。油断は禁物です」。

ゴジラ活動停止をもって事態を楽観視した大臣たちを諌めるために、矢口蘭童内閣官房副長官(長谷川博己)が放つ言葉だ。想定外、希望的観測、それらを退けるために必要とされるのが正確なシミュレーションである。『シン・ゴジラ』はゴジラという圧倒的なメタファーを使って、日本の統治システムや防衛体制の問題を改めて炙り出している。

元防衛大臣で「軍事マニア」としても知られる石破茂氏も、『シン・ゴジラ』の感想をブログに綴っている。(お初盆ご挨拶など http://blogos.com/article/187599/)

そんな石破氏は、このエントリーに猪瀬直樹氏の『昭和16年夏の敗戦』を読んだとも書いている。石破氏が、この夏読み返して充実した時間を過ごせたという本書とは、いったいどのような作品なのだろう。

「日本必敗」を開戦前に知った「模擬内閣」

昭和16年7月12日に立ち上がった「模擬内閣」は、8月23日まで40日あまりに渡って、対米戦争が行われた場合の趨勢について議論を行った。彼らが出した結論は「日本必敗」であり、この結論は近衛内閣に報告されるが政策に活かされることはなかった。

戦争開始前から、日本がアメリカに破れるという結論が出ていたことに、まず驚かされる。それも、内閣に設置された「総力戦研究所」という機関によって。

「総戦力研究所」は、イギリスの国防大学(現在のイギリス世界戦略研究所)を元に構想された機関である。同研究所は、来る戦争に備えて、エリートたちを育成すること及び、国家戦略の策定を目的とした。「総戦力研究所」に「模擬内閣」が設置されたのは、真珠湾攻撃の約5ヶ月前、7月12日のことである。この時期、日本は事実上の禁油措置をアメリカから受けており、陸軍を中心として対米戦争の機運は高まっていた。この状況を受けて、組閣された「模擬内閣」は、どのような「戦争シミュレーション」を行ったのであろうか。

総力戦を想定して「模擬内閣」で行われたのが「机上演習」である。海軍が図面の上で艦隊を動かして行う演習を「図上演習」と呼ぶのと区別して作られたのが、この言葉だ。

海軍の図上演習は軍事が中心だが、総力戦研究所でのちに実施された机上演習は武力だけではなく国力全体の動員が算定されるべきものとされた。たとえば鉄でも石油でも、戦争用に費やされれば、民間工場の使用分が減り工業生産力が低下する。そうなると一時的に武力が増強されたとしても長期的な国力は低下する。軍艦や航空機の数およびその用兵法だけでは不十分なのだ。 P.131

机上演習では、教官側が「統監部」を名乗って演習全体を指揮監督すると同時に、統帥部(いわゆる大本営)としての役割を担った。「統監部」が出す状況設定・課題に「模擬内閣」が応える形でシミュレーションは進行する。なお、この「統監部」の「模擬内閣」に対する優位関係は、実際の大日本国憲法下における統帥部と政府の関係と相似となっている。

まず、統監部が提示した情況設定は、アメリカの禁油措置下、南方インドネシアの油田を確保するために南方インドネシアに進出していくと、どのような事態が想定されるか、というものだ。この情況設定は、6月22日から事実上の禁油を受けていた日本国の情況を踏まえている。

「経済閣僚」たちは自分たちの持てるデータを冷静に見つめた結果、圧倒的国力を持つアメリカに、戦争で勝てるとは考えなかった。しかし、「経済閣僚」らが国力の差を見て開戦反対を主張する一方、白井「陸軍大臣」は開戦を強硬に主張する。この対立構図はそのまま実際の政府対統帥部の複写のようだ。白井は次のような文章を残している。

「対インドネシア戦進捗し、しかも対米戦すでに避け難く、かつ青国内外の情勢は対米即時開戦に最も有利なるを具し『青国は12月中旬急襲的に米に対し開戦し、まず速やかにフィリピンを攻撃するを要す』の判決(教官側の提案)を閣議において強硬に主張せるも対米(開戦)さらに自重すべしとの案また出て(後略)」 P.144

「模擬内閣」は首相をはじめとして開戦反対派が大勢を占めたため、開戦自重を「統監部」に伝えるが、それでは演習が継続できないとの理由で、教官側の指示により開戦した設定のもとで、不承不承シミュレーションを続ける。しかし結局「模擬内閣」の出した結論は以下のものだった。

12月中旬、奇襲作戦を敢行し、成功しても緒戦の勝利は見込まれるが、しかし、物量において劣勢な日本の勝機はない。戦争は長期戦になり、終局ソ連参戦を迎え、日本は敗れる。だから日米開戦はなんとしてでも避けねばならない。 P.83

この結論は、実際に第三次近衛内閣の面々の前で発表されている。しかしこの「研究成果」が政策決定に活かされることはなかった。なぜこの忠告を無視して、日本は戦争に突入したのだろうか。

昭和16年の「敗戦報告」はなぜ活かされないのか

陸軍省燃料科で石油の受給表をつくっていた高橋健夫の言葉を引用して、猪瀬氏は次のように書く。

高橋は自らの体験を踏まえてこういい切る。

「開戦までの半年は、すでに出ていた結論を繰り返して反芻し、みなが納得するまでの必要な時間としてのみ消費された」

「事実」を畏怖することと正反対の立場が、政治である。政治は目的(観念)をかかえている。目的のために、「事実」が従属させられる。画布の中心に描かれた人物の背景に、果物や花瓶があるように配列されてしまうのである。 P.259

「模擬内閣」が、各自が所属するそれぞれの役所や企業から持ち寄ったデータ(事実)を真摯に見つめ、その組み合わせによって戦争突入後の経過をシミュレーションする一方で、実際の政治の現場で行われたのは、戦争という目的のためにデータ(事実)を読み替えていくことだった。戦争に勝てるか否かを考えるのではなく、戦争をする、という前提のもとで当時の大日本帝国は動いた。

開戦を既定路線としていたがゆえに、「日本必敗」という「模擬内閣」の有益なシミュレーション結果は、意思決定には活かされなかった。そして、「模擬内閣」、「総力戦研究所」という国家戦略策定の試みは、戦争という激流によって押し流され、忘れさられていくこととなる・・・。

忘却に対する憤り

この忘却に対する猪瀬氏の怒りが、『昭和16年夏の敗戦』には常に潜在している。

本書は、数々の研究員や当時政府に所属していた閣僚などに対するインタビュー、そして膨大な資料の調査結果をまとめあげ、新たな歴史の読み方を提示した労作である。当事者たちもが語らない歴史の穴を埋め、新たな文脈をつくりあげた結果としての『昭和16年夏の敗戦』は、戦争を知らない世代にできる戦争を語り継ぐという試みの最大限の結晶だ。

猪瀬直樹の「近現代を読む」
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