今、東京は変わらなくてはならない。

オリンピック・パラリンピックを3年後に控えているにも関わらず、日本の首都は旧態依然とした議会やマスコミ、そしてあるいは都民によっても、変化を阻まれている。変化を拒んだ先に明るい未来はないだろう。

東京、そして日本の未来のため、猪瀬直樹は『東京の敵』を一気呵成に書き上げた。

メディアに求められる「当事者意識」

都知事時代の猪瀬は東京にオリンピック・パラリンピックの招致を成功させたという大きな功績があるにもかかわらず、「徳洲会問題」によって道半ばで辞任せざるをえなかった。

そんな彼が「東京の敵」たちについて語るのは、「当事者」としての責任を感じているからだ。

一方で猪瀬直樹は、現代日本のメディア、ジャーナリズムに対してもその「当事者意識」を強く求める。

「メディアとは、取材する側であって、さまざまなニュースの当事者ではありません。しかし、報道する側にも、当事者意識は絶対に求められる。それがないと深い報道はできません。当事者に負けないくらいの情報を集めた上で、『もし自分が当事者であればどう考えるだろう。どういう意思決定を行うだろう』と想像力を働かせることで、報道は現実を動かす力を持つのです」P.182

たとえば、東京卸売市場の豊洲移転について、都民の不安をみだりに煽る報道を繰り返すマスメディアに「当事者意識」はあるだろうか。築地市場は施設の老朽化・狭隘化が深刻であり、品質管理の高度化や物流の効率化などに十分対応できておらず、移転の必要性があるというのは一つの真実だ。

そういった問題を受けて、様々な調査・検討が重ねられ、移転が決定された。

メディアに「当事者意識」があれば、長年議論を重ねて決定した豊洲への移転計画をいたずらに潰そうとするのではなく、より建設的な議論を先導していっても良いはずだ。

しかし現状はそうなってない。先日、豊洲新市場の地下水モニタリング調査で環境基準値の79倍のベンゼンや、過去8回の調査で確認されていなかったシアン検出されたことが問題視されている。

確かに、この事実は都民・国民を不安にさせるものだ。しかし、都民・国民の中に「環境基準値」とは何を表すものなのか知っている人はどの程度いるだろうか。ちなみに、この基準値は地下水を飲料や清掃に使用する場合に適用されるものである。

だから問題ではないとは言わないが、地上で使われることのない地下水をこのような基準でのみ取り扱い、危険性ばかり喧伝するメディアの現状は、公平さに欠けているとも言えるだろう。

もちろん、消費者の安心感をないがしろにすることはあってはならない。しかし本来マスメディアの役割とは、客観的な事実やデータを集め、それをわかりやすくまとめて受け手に届けることだ。メディアの役割は「当事者意識」を持ち、安全か否かを伝えることであり、安心かどうかを決定することではない。

例えば、本件について「科学的な側面から考えて、安全である」と主張する専門家も現実に存在する。ならば、メディアはそういった意見を紹介することや、その裏取り・検証を行い、その成果を報道するということをしても良いはずなのだ。

それが「当事者意識」を持った報道だろう。

東京の未来を描く上でのヒント

この本の冒頭で猪瀬は「何が重要で、何が重要でないか、問題をファクト(事実)とロジック(論理)で考えていただければ」と書いた。目先の視聴率や部数に気を取られ、「ファクト」と「ロジック」を放棄し感情的な報道に終始する一部メディアに対しても、猪瀬は憤りを隠さない。

しかし猪瀬が嘆くのは、メディアの現状だけではない。われわれ都民に「当事者意識」が欠けていることも危惧しているようだ。日本人には「自分が歴史の中で生きている感覚」が乏しいと指摘する。

「歴史に対する時間軸がなく認識がないと、未来そのものが存在しない。未来を思い描くことができない。それは東京についても同じです。だから、東京のビジョンを考えるには、まず東京の歴史を知る必要があります」P.201

原点となる江戸時代から振り返って現在の東京を捉え、これからの東京を考えることが必要だと猪瀬は説く。「東京の歴史には、東京の未来を描く上でのヒントが多く詰まって」いる。そのような歴史を知らないで、現在だけを見て右往左往しているわれわれもまた「東京の敵」なのかもしれない。

そういった主張も踏まえて、第5章「東京人の自覚」からは、東京の歴史を江戸時代から一気に振り返る。猪瀬の言う「東京の未来を描く上でのヒント」である。

ここですべてを紹介することはできないが、敗戦後の日本から森鴎外の築いた家長=当事者としての文学の潮流が失われてしまったこと、「高速道路」として機能していた江戸時代の河川のこと、江戸時代の金融システムが世界最先端だったこと……。今の日本人が忘れている日本史が軽快に要約されていく。

もちろん歴史を語り起こすだけで終わりではない。政治家としていちど失敗してしまった猪瀬は、日本史に関する膨大な知識をバックボーンにした教養を元に、最終章でこれからの日本の青写真を提示してみせる。

その内容は本書を手にとって確認していただきたいが、最後にひとつ言えるのは、彼はあくまでも「当事者」として書きつづけ、行動しつづけているということだ。

この書籍を出版することもまた、都政の当事者である作家・猪瀬直樹の行動の一環である。

「アメリカでは、女性スキャンダルがあったビル・クリントン元大統領のように、一度失敗した人でも、みそぎをすませばセカンドチャンスが与えられますが、日本はともすれば二度と表舞台に立てないような突風が吹きます。今回、都政の問題について声を上げることにしたのは、敗者復活を許さない社会への異議申し立ても含んでいます」P.193

圧倒的な当事者意識から生まれる猪瀬流の「社会への異議申し立て」に、是非一度目を通してみて頂けたら幸いである。

猪瀬直樹の「近現代を読む」
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