【現代社会の「自由」と「平和」】

 この本で取り上げられている世界は、いわゆる「アンダーグラウンド」と呼ばれる世界だ。アンダーグラウンドの世界は、闇の中にあり、アウトローが闊歩する。アウトローの住人は、この国の法や制度、慣習、社会的な規範とは異なる原理の中で生きる集団とも言える。著者・開沼博氏は、こうした存在を社会の「周縁的な存在」と呼ぶ。

 開沼博氏は、自らが見た「周縁的な存在」の世界をレポートしつつも、一方では繰り返し「現代社会は『自由』で『平和』の社会である」とも述べている。規範から外れたアウトローたちの闊歩する世の中を、自由で平和であると形容する・・・。一見すると相反するこの考え方が本書前提を通じて貫かれる、開沼博氏の世界観である。では、自由で平和の社会の住人である私たちは、自らの意志で踏み込まない限りは、アンダーグラウンドと呼ばれる世界と生涯関わらずに生きていくことができるのだろうか。

 結論から言えば、それは大変に難しいことのようにも思う。開沼博氏はこの問いを紐解く上で、現代日本の持つ自由と平和は「漂白された自由であり、平和である」という。「漂白された自由と平和」とはどのような意味なのだろうか。その意図が解きほぐされていく、12章にも渡る様々なアンダーグランドを覗いてみることにしよう。

【売春島】

 三重県は渡鹿野島。かつて風待ちの島と呼ばれ、江戸と大坂を往来していた帆船が難を逃れたり、風を待っている間に休息する船乗りたちを相手にする遊女に起源する場所だ。一時はお伊勢参詣者、時は流れてバブル期の団体慰安旅行によって隆盛を極めていた情緒溢れる桃源郷が、今日(こんにち)の衰退した姿になるまでの様子が記されている。

 周縁的な存在の一例として取り上げられたこの島。開沼博氏は島の衰退の歴史を指して、「『色』が取り除かれていく」という表現をしている。色とは、周縁的な存在の持つ偏りや猥雑さのこと。売春島は、その名の通り性風俗産業で隆盛を極めた島であるが、情報化や規制強化の波には抗えなかった。島の主要産業は「あってはならないもの」として蓋をされ、現在の衰退に至っている。

『漂白される社会』は、この一例にはじまり、様々なアンダーグラウンドが漂白されていく様子を克明に描いている。アウトローな存在や「あってはならないもの」に蓋をするのは簡単だが、目の前から漂白されていくそのような事象にこそ現代社会が抱える矛盾が見えてくる。「大きな歴史に残らないような人々、風化し忘却されてしまう生活のあり方」。そんな闇の中で目を凝らした先に見える世界を照らしだすという開沼博氏の真摯なスタンスが染みる、重い一章である。

【高齢化する新右翼、新左翼】

 70年の安保闘争・学園紛争を機に派生した「新」左翼と、そのアンチテーゼとして誕生したという「新」右翼。全共闘華やかし全盛期には、連日数十万の左翼デモが行われていたという、カゲキな世界の話である。

 過激派とは、暴力革命による資本主義国家の打倒を目指し、武装闘争を志向する極左集団を指している。昨今では反韓流を掲げたデモや、脱原発を掲げたデモなど「普通の市民」が主人公となる社会運動が話題に上るようになったが、その言葉の裏に潜むのは、かつて社会運動を担っていたのは「普通でない市民」であるという認識である。

 さて、70年代に生まれた新左翼運動も、大菩薩峠事件・よど号ハイジャック事件・テルアビブ空港乱射事件・山岳ベース事件・あさま山荘事件と、テロや内ゲバも厭わぬ運動の激化と共に、孤立してゆき、組織は弱体化。大衆からの支持を失った運動は衰退するという言説の例にもれず活動は退潮していった。

 平成も重ねること28年。かつて国家転覆を目指し活気溢れていた反権力集団の若き構成員も、今や普通のおじいさん、普通のおばあさんである。

 では、過激派は消滅したのだろうか。いや、90年代前半を最後に、集団的なテロ行為や暴力行為はなりをひそめるようにはなったものの、その「過激さ」は世間から見えづらい場所に追いやられながら、形を変えて今も生きている。

 現在、過激派は若手構成員の確保のために「サークル」や「勉強会」といったクリーンな体裁を装い、大学等でのメンバー獲得に勤しんでいる。表面上は世界平和や環境問題の解決等を看板に掲げる「普通の市民」による社会活動組織である。

 過激派が暴力性やカルト性が漂白されていく歴史の中で、「普通の市民」に受け入れられる形に変容していったことは、もしかしたら評価すべきことでもあるのかもしれない。しかし、「普通ではない市民」が「あってはならぬもの」とされていくなかで、彼らが幾ばくかの異常さを残したまま、周縁で存在し続けなくてはならなくなっているのも事実だろう。

【不可視化する周縁的な存在】

 本書では、こうした周縁的な存在が幾つも紹介されている。そして、それらは「あってはならぬもの」として浄化(漂白化)されてきたが、決して消えたわけではなく、不可視化(地下化)したにすぎないということが明らかにされている。また開沼博氏は、不可視化は構造の複雑化を伴い、周縁的な存在が社会に発見されづらく、そして日常に忍び込み蔓延した状態になっていると主張する。

 例えば、性風俗。条例や取り締まりの強化により、街中から風俗店のキャッチ(客引き)が消え、ソープのような箱型性風俗店は姿を消しつつある。しかしその実、デリバリーヘルス(箱形ではなく派遣型の風俗店)の開業登録数は増加し、夜の街を闊歩するキャッチは、プリントアウトされた「出勤中の女の子一覧」を持ち歩かず、スマートフォンに女の子の写真を入れて持ち歩くなど、一見するとキャッチとわからない形を取っているそうだ。また、性風俗店の無料案内所も数を減らしている一方で、「CLOSED」の看板が出ている表向きはバーのような店舗が無料案内所となっており、そうした情報はインターネットを通じて共有され、警察の目を逃れるようにして街中に存在している

 みなさんも、夜の繁華街を歩いていて、キャッチの姿や無料案内所の看板を目にすることがあるだろう。だが、その光景の中には、更なる不可視化されたアンダーグラウンドが存在することを意識してみたことはあるだろうか。

 かつて、著名なルポライター・竹中労氏が、市井の人々の暮らしを描くルポルタージュを「風」や「水」になぞらえていた。「風は、おしめの干してある裏窓を吹き、水はドブ板の下を流れる」と。この本に描かれた社会の姿は、まさしく現代の「おしめの干してある裏窓」「ドブ板の下」を流れる風や水を捉えたものだろう。

参考までに、本書には上記の他にも「ホームレスギャル」「シェアハウス」「違法ギャンブル」「ヤミ金」「偽装結婚」「脱法ドラッグ」といったテーマに関する詳細なドキュメントとそこから浮かび上がる様々な洞察が記されている。

闇の中で目を凝らした先に見える世界を照らしだす・・・開沼博氏がライフワークとする、原発周辺の問題もまたこうした周縁世界の一つなのだろう。私たちの日常から見えなくなった、あるいは、見て見ぬふりをしている重い現実を見る旅に出掛けてみたいと思ったあなたは、是非「開沼博の『理論』と『現場』ゼミ」の扉を叩いてみて欲しい。

ときに胸を深く抉られるような思いもあるが、一方で純粋な好奇心を掻き立てられる体験や、見えていなかった世界に”触れる”知的興奮が、間違いなくここにはある。

開沼博の「理論と現場」ゼミ
開沼博の「理論と現場」ゼミ
開沼博の「理論と現場」ゼミ
このゼミの目的は、それぞれの参加者が向き合う様々な「理論と現場」を理解し、深く考えぬき、抱える課題を解決するためのスキルを磨きあう場...